旧東海道有松の街並みから桶狭間古戦場跡まで行ってみた
穏やかなお天気だったので街歩きにお出かけ。今日は午後からと出遅れたこともあって近場の有松駅をスタート地点にしました。

まずは旧東海道の古い街並みを西へと歩きます。4-500m歩いた先の祇園寺の前で折り返し今度は東へと進みます。

街道のお店ではショーケースや店先にお雛様が並べられていました。これ、なんだろう?と思っていたら「福よせ雛プロジェクト」というんだそうです。


各家庭で役目を終えたお雛様に新しい役割を持って再生させ地域や施設の振興に寄与することが目的だそうです。

こんなことを眺めながら有松山車会館の辺りまで来ますが、いまいちもの足りないというか足に余力があるような、、、。
そこで桶狭間古戦場跡地である公園まで行くことに。
有松駅から直線距離で1.5kmほど、バス道路を通って行っても2km程度だと思います。
ゆるい上り坂をテコテコ、トコトコと歩きながらあることに気が付いちゃいました。
古戦場跡地って2つあるの?。
今日向かっていたのは「桶狭間古戦場公園」(名古屋市緑区桶狭間北)、以前に東海道を歩きながら立ち寄ったのは豊明市の高徳院(豊明市栄町南館)の真向かいにも古戦場跡の碑がありました。
近くとも言えますが、名鉄名古屋本線での駅は有松駅と中京競馬場前で一駅離れた場所になります。
一説には緑区も豊明市もどちらも譲らず張り合っているとも。
そんなことを考えながら歩いていきますと某ホームセンターの左手に公園がみえました。
こちらが桶狭間古戦場公園。


解説の案内看板を見て歩くと緑区がここが古戦場と主張する理由が書かれたものがありました。

昭和初期に近くの鞍流瀬川(くらながせがわ)より碑が発見された。この碑には桶狭間古戦場(文化13年/1816)と書かれてあり、この地が今川義元公の最期の地または合戦の中心地であったとする根拠。ただし欠損もあり確定的なことまでわからないらしいです。
すぐ近くに今川義元の陣屋跡があるというので行ってみます。えっ?!という感じでした(笑)。アパートの前にポツンとありうっかりしたら見落とすような場所でした。

桶狭間古戦場公園に戻りその他の看板なども見て歩きます。こちらの合戦のジオラマは面白かったです。合戦時の城や砦での配置を公園内で再現しそれを解説したものです。

休憩を兼ねてベンチで休んでいる間に何組もの夫婦連れ、子供さんを交えたご家族が手にパンフレットを持って訪れていました。
じつはこの古戦場公園は小さな公園です。それなのに入れ替わり立ち代わり訪れる人がいたのは正直驚きました。
ひょっとして大河ドラマの影響でしょうか?。ドラマでは春風亭昇太さんが今川義元公を演じていますがなかなか好評なようですね。
さてここで引き返してもよかったのですがもう少し先へと思いさらに南へ向かいます。
こちらの長福寺は、今川義元公や他の武将の首検証が行われた場所。


この他には合戦で血のついた刀が濯がれた場所とされる弁天池がありました。
公園から長福寺までの間に、今川義元の家臣で先発隊としてこの桶狭間での陣を準備していた瀬名氏俊(せなうじとし)陣地後がありました。(石碑と看板があるだけです)

今川義元の本隊に先んじてこの地に陣を張り、村人の協力を取り付けて迎え入れたと記録があるそうです。
長福寺での首検証とあわせてもここ名古屋市緑区の田楽坪が古戦場との説が有力と私には思えました。
この後有松駅まで戻りましたが、帰り際の一休みでカフェ&バル庄九郎さんでコーヒーを頂いてきました。

この庄九郎はつい最近(2月になってから)オープンしたばかりの、古民家を活用したカフェです。ちょっと変わっているのが資金調達をクラウドファンディングによってということ。

古民家としての建物を再生しただけでなく、有松の「絞り」(有松絞)を配して良い雰囲気の店内に仕上げられていました。
私がうかがった時間帯はコーヒー、紅茶、抹茶の3種しか提供されていないということでしたがランチメニューもあるようです。
午後からの一日(半日?)でしたが楽しく遊ばせてもらい満足しての帰宅です。
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